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「花は野にあるように」な生き方の探求所

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FF16エンディングの解釈 ネタバレ

FF16を最後まで見ました。

ネタバレしかないので、ご注意ください!

 

モニタがないこと、金銭面からPS5を購入できないこともあり、
実際にプレイはしていません。
すべてYoutubeの実況者さんの配信で見ました。ごめんなさい!

いろんな方の配信を見てみて、途中からは「焼酎うめぇ」さんの配信で最後まで見ました。


世界観や人物設定、細かい部分まで考察を楽しみながらプレイされていることや、
キャラの心情に寄り添いながら進められているので、共感しながら見ることができて、FF16が何倍も楽しく見られたように思います。

配信してくださったことに感謝です。

 

私はFF7から15までのうち、8とオンラインのみ未プレイです。

あとはディシディアや7のスピンオフ、零式などはプレイしております。

その中でFF16は一番、私の好きな作品になりました。

 

まず世界観や雰囲気が本格中世っぽい上、ダークファンタジーで好みな上、考えれば考えるほどパーツがハマっていく緻密な設定や、キャラクターの心情の描かれ方が直接的ではなく、表情や演技、声、シナリオの中から読み取れるような作りも、好みでした。

 

そして何と言ってもシナリオの完成度の高さ。

すごすぎる。

特にこういうとこ好きだなと思ったのは、いろんなワードや、象徴が、作品の中で少しずつ持つ意味が変わっていくところ。

例えば、最初は「人が人として生きられる世界」はベアラーが人として生きれる世界を指していたのが、
途中から全ての人を救う話に変わって「人」の中にベアラーも人も含まれるようになっていったり。

ロゴの意味も、最初はイフリートVSフェニックスに見えるのが、
途中からイフリートとフェニックスの共闘の絵に、
そして最後はイフリートとフェニックスの融合の図に…見えるようになっているのかなと。

強調されているわけじゃなく、気づいた人だけ気づけばいい…くらいの置かれ方なんですけど、気づくと胸が熱くなります。

 

また、ニ回目を見ると「あのシーンってこういう意味なのかも」と思えるシーンがわんさか出てくるのも、味わい深いです。

 

一番印象に残っているのが、
(意図されたものではなく、私の妄想かもですが)
終戦の際、クライヴに力を渡したジョシュアの瞳にクライヴから生えたフェニックスの翼が映るシーン、
たぶん、子供の頃にクライヴがジョシュアに聞かせた

「(ロザリアが)存亡の危機に立たされるたびに、炎の中から現れたフェニックスが国を救ったという」

という話をこの時ジョシュアは思い出してたんじゃないでしょうか。
やっぱり「フェニックスのドミナント(=世界の危機を救う存在)」はクライヴの方だったんだと思っていたんじゃないかなぁ、とかね。

 

たぶん、何周もするたびにこういう発見がありそうです。

 

 

いつか、目標金額まで貯金できたらどうしても自分自身でプレイしたい作品です。

たぶん、没入感が違うというか、配信だと主人公を俯瞰して見ている部分があったけど、自分でプレイするときっと主人公=自分になって感じる場面がきっとたくさんあると思うので。

 

 

で。

エンディングで情緒がぐちゃぐちゃになったので、ちょっと自分の中で「きっとこう!」と考えるエンディング考察をしたいと思います。

 

最初に言っておきますが、私はこう解釈したというだけで、
制作側がせっかくひとりひとり、違うエンディングを心に描ける作りにしてくれているので、

「これが正しい解釈」とか言うつもりは全くないです。

 

プレイヤーの数だけエンディングがあるように意図的に作られている作品だと思うので、
ただの「私はこう思った」というオタクの叫びです。

 

 

 

 

 

 

私にとっての「こうあってほしい」エンディング

私はクライヴが好きです。

歴代主人公の中で一番好きです。

たぶん、声優の内田夕夜さんの演技もあると思うんですけど、
絶望の中で復讐のためだけに生きていた頃の深淵を覗き込んだかのような暗さも、
動物や子供に話しかける時の声音とか、
優しげなとき悲しいときの表情、
どこまでもまっすぐな一途さ、
心臓鷲掴みにされるような心地になります。

 

そしてジョシュアに関しては……ミーハー的な好きですね。

金髪碧眼美形の王子様という、絶対に好みのタイプじゃないはずなのですが、
声と喋り方と思考がすごく好きなんですよね。

途中から完全にジョシュア様の女に成り下がってました。笑。

 

なので二人に生きて帰ってほしかったという思いがまず前提にあります。

 

その上で、あのラストをどう解釈すればいいのか、
ネット上のいろいろな考察なども見た上で、私の考えたラストについてまとめたいと思います。

 

 

ちなみに、ディオンは?と思ったかもですが、

ディオンもディオン個人というより、テランスとの関係性で見せる彼の弱さや不安定さが人間臭くてすごくいいな、この二人幸せになってほしいなと思っていました。

 

でも、ディオンに関しては、おそらくあそこで命を落としたんだろうと私は考えています。

 

ハルポクラテスから飛竜草を受け取らなかったのは

「必ず帰ってくる」約束

というよりは、

「今の自分には受け取る資格がない。罪を贖った後で、生きていたら受け取ります」

という意味で、

死ぬ場所を求めていた彼が、恩師との会話で「たとえ死ぬことになったとしても自らの罪は償う」というやや前向きな心情に変化した、と私は受け取りました。

なので、「生きて帰ってくる」という強い意志はなかったように思うんですよね。

どちらかというと「罪を償いたい」が一番強かった。

ディオンが悪いわけじゃないのに…。

 

王子様たちはそろって無茶しぃだし、潔癖というか高潔というか…うーん、痺れますね。

 

 

ファイナルファンタジー」を書いたのは誰だったのか

16作品も出てて毎回全然ファイナルじゃないのがファイナルファンタジーシリーズでしたが、
ここへきて、本当の「ファイナルファンタジー」にしてしまったのには唸りました。

神も魔法もクリスタルも召喚獣もなくなり、ただ「人」が生きるだけの世界。
私達の世界と何ら変わりない世界になって、
FF16のクライヴの物語は、あの世界では本当に「最後のファンタジー」となってしまったんですね。

 

この「ファイナルファンタジー」というタイトルの本。

私はこれを書いた人=結末の生還者と考えてます。

 

違う可能性も当然あります。
ジョシュアがしたためていた物を、ヨーテや不死鳥教団が編纂したのかもしれないし、ハルポクラテスが編纂して自分の後継と考えていたジョシュアの名前で世に出した可能性も0ではない。

 

ですが、まあ、物語というのは「ゆきて帰りし物語」。
帰ってきた人が綴るものというのがファンタジーの様式美であることを考えれば、著者=生還者と考えて良いと思っています。

 

よって、本の書き手=物語の生きて帰った人として話を進めます。

 

 

私は

 

この本の書き手はジョシュア=ジョシュアのみ生還エンド

 

だと思っています。

 

 

作りとしては、ジョシュア、クライヴ、どちらが書いたとも取れるようにわざと何個も伏線を置いてくれていますね。

 

クライヴ説の伏線

  1. ファイナルファンタジーの冒頭と結文と思われる一節は、クライヴの声で読み上げられています。

    冒頭「歴史学者モースの筆録にこう記されている」
    結末「こうして、クリスタルを巡る探求の旅は終わった」

  2. ハルポクラテスのサブクエで、ストラスの羽ペンをもらっている。

    ハルポクラテスに「おぬしが剣ではなく、ペンを執る日が来ることを」祈って渡され、クライヴ自身も「この戦いが終われば、それも夢じゃなくなる」と返している。

 

ジョシュア説の伏線

  1. そもそも著作者名が「ジョシュア・ロズフィールド」となっている
  2. ファイナルファンタジー冒頭の一節の「歴史学者モースの筆録」を所有している
  3. ストーリー中で語り部のハルポクラテスに「自分の後継」と評された

 

どっちにも取れるように、わざといくつも種を巻いてくれている感があります。

 

クライヴが書いたとすれば、既に死んでいるとされている自分の名前を使えないためにジョシュアの名前を使った。
また、そうすることで弟の名前を残したかったのもあったかもしれません。

ジョシュアが書いたとすれば、物語の主人公を兄クライヴ・ロズフィールドにして書いたために、冒頭と結末を読み上げたのがクライヴだったとも考えられます。

 

どちらでも辻褄は合う。

だからこそ、本の著者から生還者を考えるのに行き詰まりました。
そこで、本の著者とは別の視点から、生還者を考えてみました。

 

 

ジョシュアは生き返ったのか

これはもう絶対生き返ったと、私は思っています。

私がジョシュアの女だから、ではなく。笑。

 

これもどっちにも取れるように演出されてましたが、
何度かエンディングを見直してみたのですが、何回見直してもやっぱりジョシュアは生き返って、おそらく隠れ家に帰り、本を執筆たんだろうなという考えは変わりませんでした。

 

ジョシュアが死んだと思える描写

  1. クライヴがジョシュアの遺体を癒やすシーン
    蘇生できる、蘇生しよう、そう思っていたらあんな苦しそうな表情はまずしないでしょう。
    表情からほとんどはっきりと、クライヴがレイズを使おうとしたわけではないとわかります。
    おそらくただ、痛ましい遺体の傷を、弟から受け取ったフェニックスの力で癒やしてあげたかっただけだと思われます。

  2. その後のクライヴの行動
    もしクライヴがジョシュアにレイズをかけたのだとしたら、
    掛けた後に呼吸や脈を見たり、レイズが成功したか様子を伺ったり、せめて頭を撫でるなどで別れ(これからクライヴ自身が自分と引き換えに断りを破壊するつもりであるので)を惜しんだりするはずですが、すぐにその場を離れてオリジンの破壊を始めたことからも、クライヴはジョシュアが生きているとは思っていない=レイズを使っていないことがわかります。

ジョシュアが生き返ったと思える描写

  1. ファイナルファンタジーの著者名がジョシュアである
  2. クライヴはレイズを使える条件を満たしていた
    1. アルテマがクライブという器を得て使いたかった魔法は「レイズ」で、それによって一族を蘇生させようとしていた
    2. クライヴはすべてのドミナントから力をもらい、器として完成していた
    3. 「レイズ」を使うためのエーテルは十分に集まっていたことが、最終戦アルテマのセリフからわかる
    4. アルテマを吸収したことで、クライブは「レイズ」を使用する器とエーテルの両方を備える存在となっていた

 

これを踏まえた上で、私が映像から感じたのは
クライヴはケアルガを使おうとしたつもりで、
意図せず使った魔法がレイズになってしまったのでは?ということでした。

 

根拠は全くないんですけど、

  1. クライヴのケアルガ、ジョシュアのケアル系の映像が違う(気がする)
    ジョシュアのケアルガは青い炎はほんの少し手の部分に出るだけで、全身は赤い火の粉みたいのに包まれてるのですが、クライヴの使ったケアルガは全身に青い炎が交じる。
    この青い炎はアルテマの力だと思うんですよね。

  2. クライヴはこの時初めて回復魔法を使った
    いつも使っていたなら、いつもと感覚が違うかどうかはわかったと思いますが、クライヴがケアルガを使ったのはこのときが初めてなので、ケアルガの感覚と「なんか違う」等は判断することができないはずです。

  3. アルテマの力が大きすぎて、コントロールできなかった
    この後「アルテマの力は人の身には大きすぎる」とも言ってます。
    「癒そう」という意志で使った回復魔法が、大きすぎる力をうまくコントロールできず、より上級の蘇生魔法になってしまった可能性はあるのでは…。

ということから、

私はジョシュアは蘇生していて、
クライヴはジョシュアにレイズがかかったこと、
つまりジョシュアが蘇ったことに気づかないままだったんじゃないかと思ってます。

 

また、この魔法がアレイズじゃなくてレイズだったのも意味があるんじゃないかと思ったり。

 

究極の魔法なんだし、一族郎党復活させようというのだから、アルテマが目指す魔法を「アレイズ」という設定にしても良かったと思うんですけど、
敢えて「レイズ」にしたのは、
アレイズだったら、ジョシュアにかかった瞬間、HP全開になってしまうので、即目が覚めないとおかしいから、あえて「レイズ」を究極の魔法という設定にしたんじゃないかなーと。

「レイズ」だったら、蘇生後に元々身体の弱いジョシュアの意識がすぐに戻らなくても違和感はないですからね。

 

 

クライヴは帰還したのか

一方クライヴについては、
初見エンディングを見たときには、生きていると楽観的に思ってました。

主人公だし、ディオンやジョシュアが死んでも、クライヴだけは生きて帰るだろうと思い込んでいたのと、
ジョシュアと真逆で、直接的な死の描写がなかったからです。

 

でも何回かエンディングを見直して、ネットに上がっている色んな人の考察などを読んで、最終的にクライヴは隠れ家に帰ってこなかったんだろうなと思うようになりました。

 

クライヴが生還したと思える描写

  1. ファイナルファンタジー」の著者が、クライヴの可能性がある
    これについては、書いたとおりです。

  2. 死の描写がない
    素直に見ればクライヴは生きているだろうと思えるエンディングに作られている

  3. ジルが最後に朝日をみて微笑む
    これは、ジルのサブクエ「白銀の君」の英語版のセリフについて書かれている方がいたので、英語版を見てみました。
    日本語版と全く違う台詞になっているのでぜひ見てみてほしいですが、最後のジルのセリフの1部だけを抜粋するとこんな感じ。
    that no matter how terrible the night... dawn would always come.
    that you...that you wolud always come...
    For me
    And you have. Again and Again
    英語全然できないのですが、意訳するとだいたい
    どんなに酷い夜でも、必ず朝がくる…貴方はいつも私の元に来てくれる。いつもそうだった。何度でも、何度でも。
    みたいな感じかなーと。
    全然違ったらごめんなさい。英語まじでできないです!

    ラストのジルは朝日をみて、ジルは自分の言ったこの言葉を思い出したんだろうと思います。
    クライヴが理を壊したことで、イフリートのエーテルの気配が消えたのを感じてクライヴが死んだと思ったジルは、でも朝日を見て、
    「いや、大丈夫、必ずクライヴは帰ってくる」
    と思い直したんじゃないかなと思います。
    このジルの微笑みがクライヴの生存を暗示している、ともとれます。

  4. エンドクレジット後のエピソードで、子供達が「聖女と使徒をやろう」と言っている
    クライヴが書き残した可能性、またはクライヴの生存を暗示している?

 

クライブが帰ってこないと思える描写

  1. 海辺のシーンで左手の石化が徐々に進行していっている
    左手が石化しているだけではなく、最初指先だけだった石化が、カットが変わると石化が進行していっているのがわかります。
    それも急速に…。
    人の身に余る力を全部使い切ったのであれば、さすがのクライヴの肉体でも、全身に石化が回ってしまう可能性はありそうな気がします。
    なにより、クライヴ自身が「この身が砕けようとも」と、この力を行使することでおそらく代償を払うことになるだろうことを自覚していました。

  2. 「綺麗な月だな…ジル」のセリフ
    このセリフ、これから帰る人間が言うセリフじゃないな、と。
    ここから動くことができないと悟った人間が、想う人と今、同じ月を見ていることを願って呟いた言葉…
    何回も見直すと、そうとしか思えなくなってしまいました。

    少なくとも、クライヴ自身はここで帰れない覚悟をしたんだと思います。
    そうでなければ、ここのセリフは「ジル、終わったよ」とか、「今帰るよ」とか、これから帰る人間の希望が残る言葉だったと思うからです。

 

これらの描写からはどちらにも解釈はできると思うのですが、
私の中で、クライヴは帰ってこなかったという結末に落ち着いた理由は、
米津玄師の「月を見ていた」と、インタビューを読んだことにあります。

 

「月を見ていた」の歌詞

「月を見ていた」は最初ジル視点の歌だと思っていたのですが、
米津さんのインタビューを読んでクライヴ視点の歌らしいと知って、
その前提で歌詞を見直すと、これもまた「帰ってくる」人の歌じゃないなと感じてしまいました。

少なくとも1番はクライヴの海辺での視点の歌詞で、

「羊を数えるように」眠りにつく前の心地で、貴女に思いを馳せる。

その中で、「別れゆく意味があるなら、どうか悲しまないで」と月の浮かぶ空に「綺麗だな」と呼びかける。

帰ってくる心構えの人の歌じゃないんですよね…。

 

 

それから米津さんの「月を見ていた」に関するこちらのインタビュー記事

吉田Pと話し合う中で

彼の中でジョシュアとの物語には決着がついているけれど、ジルとは決着が着いていない

と言っているんですよね。
これを読んだときに、ああ、エンディングをどう捉えるかは自由に作ってあっても、
少なくとも吉田Pと米津さんの中では、クライヴの物語はここで終わっているんだなと感じました。

……勝手に穿って読んでしまっているだけかもですが、
生きて帰るのであれば決着なんてつける必要はないんですよ。
これから物語のその先でつければいいんですから。

決着が必要なのだとしたら、そこで二人の物語が終わってしまうからだと文章から感じて、

私の中のFF16のエンディングは、クライヴは帰ってこないという結末に落ち着いたのでした。

 

 

 

それでも、人はハッピーエンドを求める生き物

クライブに関して、頑なに「帰ってこない」という言い方をしています。

クライヴ自身が、あの場で終わりを覚悟したという意味であって、死んでしまったのかどうかは本当にわからない、と思っているからです。

クライヴが自分自身の足で隠れ家に帰ることは敵わないのだと悟った状態で物語が終わる。

それが私の中のFF16のエンディングです。

 

 

クライヴに生きていてほしいなと思うのは、ただ幸せになってほしいという願いだけではなくて、
彼自身が掴み取った世界を、見届けてほしいなと思うからでもあります。

 

たぶん、理が変わってしまった世界は、最初は混乱するはずで、
クライヴ自身が自分が行ったことが正しいとしても、
それによって苦しむ人がいるなら、それも見届けるのがクライヴの責任ではないかなと私は思います。

 

鬼かよって思われるかもですが、
意地悪な意味ではなく、見届けて、どれだけ苦しんでも、最後に選んだ道は正しかったと笑ってほしいんですよね。

クライヴだからこそ勝ち取れた「人として生きられる世界」に対する喜びを、仲間と分かち合ってほしいんですよ。

 

責任感の強い人だからこそ、

「やりきった。これでよかった。でも、きっとこれから人は苦しむだろう」

そう恐れを抱きながら終わってほしくない。

 

 

だから、エンディングの続きに「こうだったらいいな」というIfをこう妄想します。

 

 

クライヴが帰ってこなかったとしても、ジルとトルガルが彼を探し続けることは間違いないでしょう。

ジルが最後に微笑んだように、彼女はクライヴの生存を固く信じているから。

そしてトルガルも13年も健気にクライヴを探し続けていたのだから、これからだって探し続けるはずです。

 

石化が全身に回って、思うように身体が動かなくなっても
生きてさえいてくれれば、帰れなくなったクライヴを、ジルとトルガルが見つける…という未来はあり得るんじゃないでしょうか。

 

ジョシュアが蘇生されていれば、ジョシュアも絶対にクライヴを探したはず。
ジョシュアなら不死鳥教団がいるので、比較的早く見つかるでしょう。

 

ジョシュアの生存を知ったら、クライヴはきっとすごく喜ぶでしょうね。

 

そして、隠れ家はその技術を少しずつ大陸中に広めていく活動をしていく日々の中で、ジョシュアはクライヴを主人公にした「ファイナルファンタジー」を書き綴る…

 

 

どうでしょう?

 

ご都合主義?上等ですとも。

 

でもあのエンディングと矛盾はない…と思っています(たぶん)。

 

それだけ懐の大きいエンディングってことです。

こんな作品を作ってくださったことに、制作者の皆さんへ心からの感謝を…。

 

本当に素晴らしい作品をありがとうございました。

いつか絶対自分でプレイしたい!