炎の蜃気楼時系列順再読。
『炎の蜃気楼 昭和編 霧氷街ブルース』読了し、
思いっきり続きものだったので、『夢幻燈ブルース』まで読んでからまとめました。
読んだ本はこちら↓
前巻の調べものと感想ははこちら↓
物語の舞台
烏森神社
レガーロの仮位置と、加瀬がタバコ吸ってた烏森神社。
加瀬のかかりつけ医、麻生診療所もおそらくこの辺。
(レガーロ仮位置、なにも考えずに有楽町と新橋の真ん中にしてたんですが、今気づいたけど「筋肉食堂」に印付けてますね、私w)

向山城
三猛将が架空の人物なのかヒットしなかったので、向山城もどこなのかはっきりはわからず。
練馬に向山という地名はあるが、
八王子に向山砦(むこうざんとりで)というのもあり、
東都大が山の中であるらしいことと、丹沢が西に見えるとも書かれているので(ほぼ南ですが)、八王子のほうですかね。
景虎様と直江が話を聞きに行った「大学がある高台の麓にある古刹」の観音寺も、たぶんここかな?という場所に印付けてます。
氏康の初陣で、上杉朝興と戦った1530年「小沢原の戦い」の場所は候補地は青〇。
Wikiに場所が諸説あると2か所載ってたので2か所とも印つけました。
話を聞きに行った観音寺は天正年間(1573-1591)に犬目から今の場所へ移転したようなので、向山砦で戦があったころからはちょっと年代が離れている。
違うお寺、もしくはこの観音寺をモデルにした架空のお寺かもしれないです。
『霧氷街ブルース』の信長との対決場所
景虎様ルート
赤が景虎様ルートと予想。
最初に四号上屋で景虎様と八海が落ち合い、
ホテルニューポートに丈司救出に行き、
倉庫街の線路上で信長とぶつかり、
山手天主堂で倒れているのを美奈子が発見して、病院へ。
紫→は信長のルートです。
直江も遅れて景虎様とほぼ同じルート。
ホテル→高坂の車で信長と景虎様が激突した倉庫街を訪れて、景虎様を捜索。
その後、景虎様の病院へ。
直江がいるところにいつもいる高坂、直江大好きやん🥰
長秀&色部さんルート
オレンジが長秀、色部さんルート。
ホテルから、寿町まで三猛将と追いかけっこ。
逃げられて外国人墓地で八海と落ち合おうとしたところに、晴家も合流。
長秀が急に『青い山脈』歌い出したの、私までびっくりして「きょとん」ってなったw
『愛の賛歌』『嵐を呼ぶ男』『青い山脈』などなど、知っている曲がでてくると、
読みながらその音楽がBGMで頭の中に流れるのが、読んでて楽しいです。
また曲名聞いてもわからなかった曲は、検索して聞いてみてるんですが、
『監獄ロック』は聞いたらこの曲か!!ってなったし、
今聞いてもかっこいいのがやっぱすげぇよプレスリーってなった。
美奈子ルート
青が美奈子ルート。
東横線の終電で桜木町駅まで行って、
当時は山手駅がないためタクシーで山手の天主堂へ。
このあと、長秀以外の全員、景虎様が搬送された病院に……。
病院は特定できず。
ついでに、『夢幻燈ブルース』で真中幸之助が避難場所に使っていた野毛山のだいたいの位置と、
ラストに景虎様と直江が幸之助を見送りに行ったのが大桟橋付近の港とのことなので、大桟橋に緑〇つけてます。
野毛山って、昔は別荘地だったんですね。
動物園があることしか知らなかった。
ホテルニューポート
ホテルは、「外国人居留者のための由緒あるホテル」ということで、
おそらく昭和2年開業のホテルニューグランドがモデルっぽかったので、そこに印付けてます。
サイトの写真見るだけでもすごいかっこいい。
大階段の写真とか、赴きある美しさで、ちょっと映画の『グランド・ブダペスト・ホテル』を思い出しました。
しかし、こんな豪華なホテルの電灯を、歩くだけで割る信長様、超迷惑な客だなw
信長との対決場所
ボロボロの景虎様のところに信長が現れた時、倉庫街で且つ、線路の上に立っていることから、
当時この付近で線路があった場所を調べて、赤レンガ倉庫のこの辺りかな~というところにしてみました。
当時は貨物用の路線がこの辺にあったようです。
当時の線路位置の参考にさせていただいたサイトはこちら↓
hamarepo.com
東横線桜木町駅
東横線の横浜~桜木町駅は2004年に廃止に。
東横線の桜木町駅は今の桜木町駅より少し西の位置らしい。
まあ、ほぼ同じでしょう!ということで今の桜木町駅の位置に印付けてます。
その先の関内駅、山手駅は、昭和34年当時は存在してなかったようです。
山手の天主堂
美奈子が加瀬を見つけたのが、山手の天主堂のマリア像の前。
現在のカトリック山手教会のようなので、そこに印をつけました。
『霧氷街ブルース』読んだ時は、加瀬自身も不思議がってましたが、新港埠頭からは距離があるので、瀕死の加瀬が歩いてこれるわけがなく、結構ホラーでした。
真中幸之助が助けたと、『夢幻燈ブルース』で明かされて、謎が解けました。
しかしなぜここに置いていった、幸之助よ…。
『夢幻燈ブルース』のラストバトル
赤が直江、長秀、八海、高坂+景虎様ルート
都内五カ所で爆発が起き、
直江たちが御成門付近の神社にかけつけ、魔方陣を封じ、
その後、どこかもう一カ所も封じてから、
上野公園で織田の憑依霊と戦闘中に、景虎様と合流。
その後、車で北の丸へ行くために田安門へ。
青は晴家がヨハンと登った砲台跡はたぶんここかなと。
千鳥ヶ淵高射機関砲台座跡。
ちなみに、夢幻丸が最初に停止したのは上野公園ですが、
船の位置は、船首を北にして南からやってきて、上野公園の西側に止まったと考えてよさそうですね。
というのも、砲台から見ていたヨハンは、船の左舷側を見ており、
右舷側から船を降りた景虎様は、降りるまで上野公園に立つ直江の姿を視認していたので。
北の丸を中心にした召喚術と考えると、停止位置が北に寄りすぎているのは、
もしや景虎様と命綱で繋がってた直江が引き寄せた可能性あったりしますかね…?
直江が上野でひとりだけ昏睡状態にならなかったのもこれのせい?
ちょっと話はそれますが、
直江はこの『死の船』にとってずっとイレギュラーな存在でしたよね。
最初から船に招かれるのではなく、景虎が乗ってしまうのを止めようとし、
翌日からは船自体見つけられなくなり。
この船が「死の恐怖」によって、近しい人の死を経験した人間の心をひきつけるものだとするなら、
直江は「全く死に惹きつけられてない人」ということ、なのかもしれない。
そして直江の中で、「死に惹きつけられている人」 のイメージとは景虎の形をしているのかもしれない。
調べもの
東都大で爆発が起きたのが、連休明け。
恐らくGW明けと考えられるので、物語の冒頭はそれより前と考えると、
時期は昭和44年4月末~6月ごろと予想。
GWは1948年に国民の祝日に関する法律が施行されてから、あのあたりが連休になったようです。(ただし5月4日が休みになったのは1985年以降)
赤ひげ
加瀬の主治医、麻生先生の異名「新橋の赤ひげ」でしたが、
黒澤明の『赤ひげ』は1965年なので、
その原作山本周五郎『赤ひげ診療譚』の赤ひげのことですね。
昭和33年3月から連載開始。昭和34年刊行。全8編。
『赤ひげ』全然内容知らなかったんですが、貧しい人を診療してあげていた小石川診療所の医師、新出去定(赤ひげ)の話なんですね。
『赤ひげ診療譚』の1篇はタイトルが「駆け込み訴え」と知って、俄然読みたくなりました。笑。
滝川一益
武田勝頼を討ち取った織田の重臣。
鉄砲の名人だったようなのですが、作中では腕前を披露せず石にされてしまったのが残念でした…。
「関東のことはおまえが一番よくわかっている」と信長に言われてましたが、
元々は伊勢攻略で活躍し始め、伊勢の長島城の城主だったようです。
一益が「関東御取次役」となったのは、1582年(天正10年)3月に甲州征伐で武田勝頼を討った後で、上野の箕輪城、厩橋(まやばし)城の城主となった。
しかし、同年6月に本能寺の変が起きてしまい、甲州征伐時に同盟を結んでいた後北条氏が織田に不信を抱いていたことから、一益の上野を攻めて神流川(かんながわ)の戦いが起こる。一益は敗走し伊勢に帰還することになった上、この戦いのせいで6月27日に行われた清須会議にも出席できず、一益は織田家の中での地位が失墜してしまう。
その後は柴田勝家と共に秀吉と敵対するも、賤ヶ岳の戦いで勝家が自害すると、長島城で戦っていた一益は降伏。所領を没収されて剃髪したが、1584年(天正12年)小牧・長久手の戦いでは秀吉に従い、1586年(天正14年)に亡くなってます。
…これだけ着実に武功を挙げてきて、青天の霹靂で主君を亡くし、せっかく手に入れた甲州をたった3ヶ月で手放すことになり、織田家での地位まで失うとか。
あまりにもかわいそうなので、もうちょっとミラージュで活躍させてあげてほしい!と思ってしまった。
ちなみに、
御館の乱で景虎様方についた北条高広は
天正7年 御館の乱の後、武田勝頼の下に、
天正10年3月 甲州征伐の後、滝川一益の下に、
天正10年6月 神流川の戦いの後、後北条の下に、
天正10年12月 真田昌幸が後北条から離反して上杉に帰順した際に、北条高広も上杉へ帰順している。
転職忙しすぎる!領地の支配者が変わったら出仕先が変わる戦国の世は、小さな城主達には目まぐるしい世界だったんだろうな…。お疲れ様です。
蛇足ですが、
「山姥切長義」と「山姥切国広」の元主の長尾顕長も、北条高広と同じく、甲州征伐の後から滝川一益に仕えて、神流川の戦い後、後北条氏に仕えたようです。
下天の八日
信長が『敦盛』を口ずさんだ後に言っていた台詞。
「貴様もわしも人生はとうに過ぎた。だが夢からは醒めぬ。下天の八日を生きても、なお醒めぬ。生即ち夢ならば、ずいぶんと長い夢を見ているものではないか」
下天の八日……一瞬、人間の50年が下天で8日ってこと?って思ったんですが、
いや、天上はもっと時間早いはずと思ってちゃんと調べました。
六道輪廻は天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の6つ。
そのうちの人間が生きているのは人間道。
下天は天道の一番下。人間道の上となる。
下天の時間の流れは、1日が人間道の50年に相当し、さらに下天の人達の寿命は下天の時間で500歳。
つまり「下天の八日」は人間道での
50年×8=400年
でした。
この『敦盛』の有名な部分の後に続く歌詞を含めて、
『敦盛』が好きだった信長という人が、私は好きで。
人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
そしておそらく、ミラージュの信長も、この価値観を持っている人なんだろうなと、
この景虎様との対峙の場面から伺えます。
我、渇く
キリストが磔刑にされた時に言ったとされる七つの言葉のうちの一つ。
私はキリスト教は全く分からないので、Wikiを見るのが一番よい!と思ったらWikiには詳しい意味は書かれてなかった😭
この七つの言葉の言った順番も閲覧したサイトによって違いましたが、Wikiでは第5の言葉として載っています。
七つの内、この言葉が一番難解で、
解釈もいろいろあるようで、
私にはどれを読んでも意味が分かりませんでしたが、
「旧約聖書の成就」を意味していると書かれているサイトが多かったです。
「聖書の成就」の意味から分かってないんですが、神との約束の成就、と考えればいいのかな?
この「わたしは渇く」の後に、酢をいっぱい含ませた海綿を口元に近づけられたイエスは、それを受けた直後「完了した」という言葉を言ったとされ、
この「完了した」は「人類の贖罪をすべてし終えた」みたいな意味のようです。
景虎様はこの時、熱でやや朦朧としている感じなので、
本人に「喉が渇いた」以上の意味を持たせるつもりはなかったと思いますが、
物語における意味としては、
その前に言った言葉から考えると、
血濡れ(殉教の象徴)の景虎が、青い衣(天上の象徴)を着た春姫が迎えに来た夢を見たことで、「謙信公の命を果たし、贖罪を終えた(=死という安らぎを得られる)」夢を見たと景虎が感じていた場面だと、捉えることもできるかもしれない。
そして、この時、直江が景虎に水を飲ませられなかったのは、
ここで景虎が望んだ「完了」が訪れなかった、という解釈もできます。
ゲッセマネの祈りの話をした後で、景虎の傍らで眠ってしまった直江は、どちらかというとユダ以外の弟子を象徴しているようにも感じるのですが、
しかし、直江は、
「おまえはいずれオレを売るだろう」と景虎に言われる夢を見ていた上、
美奈子と親しそうにする景虎を目撃した直後であり、
更には唐突にゲッセマネの祈りの話をされ、キリストと同じ言葉を呟いた景虎に
ユダと自分を重ねて気が気じゃなくなってしまう。
この霧氷街&夢幻燈ブルースで、直江を情緒不安定にさせる出来事がこれでもかと重なっていくのが、もうやめたげて〜……ってなりながら読んでました。
でも、キリスト教では「イエスはユダが裏切り、自分が死ぬのを知っていた」といいますよね。自分が死ぬことで人類の罪が贖われるから、死ぬ必要があったと。
物語の中でこれだけイエスとユダの符号が示されるということは、
「景虎は直江の裏切りを知っている」ということも暗に示しているのかなと思いました。
景虎様の場合、「知っている」というよりは、
「自ら仕向けてそういう未来に導こうとしている」感じがするので、偶然が重なっていくというより、直江に飲ませ続けた毒がじわじわ効いてきているところに、「美奈子」という予想外の要因によって遅効性の毒が即効性に変化してしまった感が……。
ビルヘルム号
ヴィルヘルム・グストロフ号のことか、この船をモデルにした架空の船と思われます。
Wikiにはこのように書かれてました。
1945年1月30日にゴーテンハーフェン(現グディニャ)の港から東プロイセンの避難民や傷病兵を乗せて出航した後、ソ連海軍の潜水艦S-13(英語版)の雷撃を受け、推定9,000名以上という海事史上最悪の死者を出した。
1945年ソ連の猛攻で東プロイセンが孤立し、陸路がなくなってしまったために、ゴーテンハーフェンから海路で軍人、民間人を非難させる「ハンニバル作戦」が決行され、ヴィルヘルム・グストロフ号もその作戦に参加。10,000人以上の軍人、民間人を乗せて避難するところで、ソ連の攻撃を受けて沈没した。
ちなみにこの船の想定定員が乗組員含めて2000名程度の船だったようですが、現在の推定では10,000人以上が乗船し、犠牲者数は約9000人以上と言われているそうです。
1月30日が特に寒い日で水温がとてつもなく低かったのも、犠牲者が多かった理由のようですね。
Wikiに寄れば、「気温は-10℃から-16℃にまで下がり、海上には氷が漂っていた。」と書かれてます。
ゴーテンハーフェン
赤〇がゴーテンハーフェン。
現在のポーランドのグディニャ。
1939年9月第二次世界大戦のポーランド侵攻によりナチス・ドイツが占領した港。
1945年に撤退するまで、ドイツはゴーテンハーフェンと命名していた。
この港の東側が当時の東プロイセンで、ここがソ連に猛攻を受けて孤立したために、海路で非難させることになったということですね。
青〇の部分は「カリーニングラード」という現在でもロシアの飛び地なんですね!
この1954年にソ連に占領されるまでは、「ケーニヒスベルク」(東プロイセンの都市)だったんだそうです。
こんなところにロシアがあるとは、全然知りませんでした。

ヴェルツブルクの魔女裁判
マリアの故郷のヴェルツブルクは今のドイツの真ん中あたりの都市。
1625年から1631年に行われたヴェルツブルクの魔女裁判は、貴族や議員など身分に関係なく、また性別も女性だけでなく、男性や子供まで犠牲になった、歴史的に有名な魔女裁判のようです。
英語版Wikiに、この魔女裁判に関する内容を書いた手紙の文章が載っているので読んだのですが、もはや魔女狩りとかそういうレベルをではなく、集団パニック状態に近かったのでは、という印象を受けました。
日本の大東亜戦争もそうですが、こういうのって、時代の価値観やムーブメントの問題もあるから、その価値観の渦中に生きて、どうしたら「これはおかしい」と気づくことができるのか、気づけたとして、なにができるのかとか考えてしまう。
桜木町のシベリア
長秀と色部さんが食べてたシベリア!!
長秀は邂逅編でもぜんざい好きだったし、宿体の味覚にかかわらず甘いものが好きなんですかね。かわいい。
シベリア結構好きなんですが、桜木町名物だとは知りませんでした。
桜木町の1916年(大正5年)創業のコティベーカリーさんのシベリアだと思われます。
これは食べたい……
今度シベリアのために横浜に行こうと思います。
家電三種の神器
1950年代以降に言われるようになってきたようで、
Wikiに最初は冷蔵庫・洗濯機・掃除機だったのが、掃除機が後で白黒テレビに変わったと書いてあったんですが…ほんとか?
なお、一番普及が早かったのがテレビで、
これはミッチーブームの影響もあったとのこと。
調べて初めて気づいたんですが、この頃ってテレビ白黒ですよね。
頭の中のイメージ画像は完全にカラーテレビでイメージしてました。
あと、家電の冷蔵庫が普及する前、母の家にはこの頃、上に氷を入れて冷やす冷蔵庫があったそうです。
クーラーボックスのでかい版です。
氷は氷屋さんが売りにくるのを買ったんだと言ってました。
一億総白痴化
評論家の大宅壮一が生み出した流行語。
1957年「一億白痴化運動」という言葉を使用したことから広まり、
松本清張が「総」を付けて流行したのが「一億総白痴化」。
テレビによって賢くなれる部分もあるから一概には言えませんが、
どんな情報にせよ、接し方と扱いによるんでしょうね。
でも、テレビはついつい見ちゃうし、受動的になるので、思考を停止させるという意味では確かにそうかも。
それとは別に、テレビを見なくなって久しいですが、
不思議なことに、見なくなってからの方が人生の幸福度は格段に上がりました。
ニュース見ないとすごく精神衛生に良い!(メンタル激弱)
アイゼンハワー
ドワイト・D・アイゼンハワー。
1953年~1961年にアメリカ合衆国第34代大統領だった人。
信長の「アイゼンハワーも思うまい」の台詞に、一瞬「誰」ってなったw
いや、大統領だってことは文脈でわかるんですが、初めて聞いた名前でした。
調べると、1960年1月に岸首相と「新日米安全保障条約」に署名することになる大統領でした。
船乗り用語
「全速で後進(フルアスタン)だ!」って景虎様の台詞にとてもときめきました。
一応船乗り用語の意味を調べました。
- heave in(ヒーボイ)… 巻き上げる。
- 全速後進(フルアスタン)…アスタンは「船尾方向に」という意味で、船乗り用語としては、船尾側に進むこと。エンジンの回転をデットスロー、スロー、ハーフ、フルで表す。前進の場合はアヘッド。
戦時中海軍が敵性語使ってたのかな?と思って調べたのですが、正確なところはわからなかった。ですが、海軍兵学校は英語教育を終戦までやっていたこと、日本海軍はイギリス海軍を手本にしてること、なんだかんだで日本は外来語結構使ってたようなので、使っててもおかしくなさそうでした。
まとめ
相変わらず、調べもの楽しい!
しかし、ものすごく時間かかるのが億劫になって、書き始める前の腰が重いのが難点です。
なにか、ミスってるのあったら教えてくれると嬉しいです。